事故物件 死と向き合う方の想いとは?

事故物件専門 買取売却なら大阪のやすらか不動産ブログ担当、山本です。
今回は『事故物件 死と向き合う方の想いとは?』の話です。

人と死は切れないものである

人は永遠ではありません。
生をうけこの世に産まれた瞬間、等しく死が訪れるのです。
事故物件の取り扱いをしていると、一般の方の『死』の認識が遠くなっていると感じてしまいます。
そのため、物件に何か瑕疵が発生すると避けるようになっているのです。
死について今一度、心に落とし込める必要性が現代にはあります。

死とともに過ごしていた過去の日本

かつての日本家屋は田の字型で設計されていました。
これは、家屋の中で冠婚葬祭すべてを執り行っていたからなのです。
ふすまを外すことで4部屋の区切りが無くなり、部屋が一つになります。
そうすることで、親戚や近所の親しい方々が訪れることができます。
わざわざ会場を借りて行うことではなく全てが日常の延長でした。
当然、亡くなる場所も家屋であることが多くそのまま、近所の方とともにお通夜、お葬式を執り行いました。
死装束も当然家で保管されており、いつでも葬儀が行える仕組みが家の中にあったのです。
家族と一緒に過ごしているため、遺体が腐敗することはなく3日後(友引を除く)には荼毘に付されることとなるのが当たり前でした。
幼少期から家族の誰かが亡くなるのを目の当たりにして過ごすことが当たり前の時代が高度経済成長期以前はあったのです。

現代日本の死の現状

高度経済成長期以降、日本は核家族化が極端に進みました。
地方に住んでいる人々は、仕事を求め都市部に流入し、さらにそのまま定住することとなったのです。
都市部に人が住むことで、人口が極端に増加、集合団地を急速に建築し核家族化に拍車をかけていきました。
家族間で当たり前であった死が切り離されたものとなったのです。
団地からマンションに移行し、集合住宅などが建築されると増々、死が不浄なものと認識され、家で葬式を執り行う家庭が激減していきました。
今では当たり前ですが、死を日常と切り離したことにより通夜や葬式は葬式催事場で行うことが通例となったのです。

切り離された『死』がもたらしたもの

死は生きている物は全て等しく訪れます。
日常から『死』が切り離されると、人は死が遠い世界のものに認識を変えてしまいます。

人が死ぬということは、生命の活動を止めることを意味します。
心臓が止まると血液の流れが止まります。
流れが止まった血液は重力の関係で下の方に溜まります。
死んだ人が青白く見えるのはこれが理由です。
血色がなくなるからなのです。
死後2時間で筋肉が固まり始めます。これを死後硬直といいます。
10時間が死後硬直のピークと言われているので、死に装束を早く着せなければいけない理由はここにあるのです。
この死後硬直がピークになる死後10時間後をむかえると、腐敗が始まります。
消化液の胃液が内臓を溶かします。
腸内細菌と溶かした内臓が複雑に絡み合い、さらに腐敗が進むのです。
腐敗が進むと化学反応でガスが発生。
身体が青黒く変色し、ガスにより身体が膨らみます。
このように体自体が腐敗の変化をもたらす前に荼毘に付す必要があるのです。

死が身近ですとこのような状態になる前にすべてを終わらせます。
そしてそれが当たり前なのです。
死が切り離された状態の現在ですと、人の死がこのように変化することを知識でしか知ることができず日常として認識が難しくなるのです。
しかし現代では死はかかわりがないものとして認識されており、知識すら知らない人も多いのが事実です。

まとめ

常に死と向き合う職業として、死が切り離された状態が異常であると思っています。
この現代日本のあまりのシステム化された状態が、人の営みとして異常なのです。
家での葬式は確かに大変です。
ですが、公的な機関や自治会でも葬式について取り上げることもあります。
死が自分とは関係がないと一蹴せず、自分事ときちんと受け入れていきましょう。

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以上、今回は『事故物件 死と向き合う方の想いとは?』の話です。
やすらか不動産では、事故物件の買取などのご相談もひきうけます。
ご自身の不動産が事故物件に値し、お困りの場合、ぜひやすらか不動産へご相談ください。
事故物件専門 買取売却なら大阪のやすらか不動産ブログ担当、山本でした。

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